芝浦工業大学「増穂だより 175 号」(巻頭言)
伝統柔術の紹介(菅沢 茂)

2008 3 月に発表された新しい学習指導要領(教育 内容に関するわが国のおおまかな基準)では、主な改善事項の一つに「伝統や文化に関する教育の充実」が掲げられています。このことも受けて、中学校の武 道・ダンスがこれまでの選択履修から男女必履修に変更されました。
ダンスはよいとしても、これまで例示されていた武道(柔道、剣道及び相撲)について、女子も必修としたこ とには異論があるところです。しかし、護身や健康安全に役立つと考えるならば、男女に限らず基本的な武技を習っておくことには意味があると考えます。
そこでこの機会に、私が多年学んできた日本伝統柔術の一流派「合気之術」についてご紹介します。いわゆる 古武道には試合競技はなく、形稽古や演武があるのみです。このような静かな武道があるということを、ぜひお伝えしたいと思います。

○旧会津藩の御殿術
合気之術は現代合気道のルーツであり、旧会津藩の御殿術で門外不出の 御留 ( おとめ ) だったといわれています
藩 主や家老、奥女中や上級武士が、護身と健康のため日常的に畳の間で実践したという品のよい高級な柔術(やわら)です。「大東流三大技法」(合気之術、合気 柔術、柔術)の最上位に位置するシンプルな技法で、姿勢よく格式を保ち、仮想敵に正対して逃げず、かつ多敵の攻撃にも平然と応じる心構えが求められます 。
殿様が味方の加勢を待っておこなう、初期危機管理の一瞬の対応だといえましょう。このため、きわめて合理 的、効率的に簡素な体さばきで相手を制する術技となっており、年齢や性別を問わずだれでも無理なく修得することができるのです。筋力の枯れ始める 70 歳あたりの技が最強だともいわれてお り、青少年はもとより、力の弱い女性や老壮の健康管理にも有効です。

○習い始めたきっかけ
 私は文学部の出身ですが、大学では 4 年間一心不乱に柔道部で汗を流しました。 当時は文学嫌いで、 30 歳 のころ社会科学にあこがれ、夜間の定時制高校に転勤し昼間は大学院の教育研究科に通うことにしました。このとき週に 1 度、合気道の源流といわれる大東流合気柔 術免許皆伝の門に入ったのです。その現代柔道のわざとはまったく異なる玄妙不可思議なやわらの世界に魅了されました。
寛政の改革を主導した松平定信も、その著『修行録』(岩波文庫)の中で、「かたちの教え」と称して自らの 起倒流柔道の修行を回想しています。明治期に日米文化の架け橋となった新渡戸稲造も、名著『武士道』の中で柔術についてくわしく説明しています。
「柔よく剛を制す」というように、力を使わず最小限の動作で瞬時に極める技の世界を知りました。

○一尺円内の動き
合気之術は、一尺の円内でおこなうことを基本とします。この修得過程に合気二刀剣の素振りや転身法が含ま れており、各種返し技もまじえた一連の流れの中で合気之術の術理が身についていきます。
合気之術の導入部には、合気呼吸体操(合気躰動法)があります。座法と立法に分かれており、立法の場合に は一尺の円内をイメージしながら、前に半間(約 90 セ ンチ)、左右に 一間 ( いっけん ) の 幅だけでおこなう独特の呼吸法を伴う運動法です。これは、地上の防ぎであり球体の上半分を防御するもので、殿様が部屋の中でゆったりとした動作で練習しま す。部屋の中の小さな体動を大軍の動静に還元し、戦略を帷幕(いばく)のうちに練り上げるものだといわれています。

や わらの特長
私は以前、『三大技法に学ぶ 日 本伝大東流合気柔術』を出版しました。全 3 巻 の初巻では、主に鎧兜着用を想定した大東流柔術編について解説し、私がこれまでの取り組みで確立した本来の「合気」修得の手順やその歴史的背景について簡 略に述べています。第 2 巻 では、柔術の奥伝を起点とする合気柔術編返し技の体系を紹介し、第 3 巻では、多敵に対する戦略論合気之術について論じました。現在も古伝技法の体系化に向けて整 理・研究をすすめており、また新たな仮説を本にまとめてこころざしのある次世代に伝えたいと念じています。
日 本伝統のやわらの特長は、対武器の実戦においても敵を無傷に征圧しようとする点にあります。世界的にも稀有な平和志向の武術で、かつ教育武道としてはきわ めて陶冶性の高いものだと自負しています。いま流行の格闘技は粗暴とみられがちですが、そんな印象をぬぐい去る知的で品のよい技法体系といえます。
機会があればぜひ芝柏でもお伝えしたいと考えています。